for sibs ~兄弟姉妹を自死で亡くした人の語り場 in Nagoya~
私たちは兄弟姉妹を亡くした人同士の「分かち合い」の会の主催を目的として立ち上げた任意団体です。
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空はずっと続いてるから、大好きな人が遠く海外にいても、同じ空の下で頑張ってるんだ、と思うとなんだか嬉しくなる。いつか会えるかもしれない、と。

でも、いくら空が続いていても、弟のいる場所は同じ空の下じゃないんだ、と思うと虚しい。どこまで手を伸ばしても届かない。まるで神話化して、星の中にいるような気がする。
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[2013/09/26 06:16] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
「人生観」
人は、芸術、読み物や、人との出逢いによって「人生観」を大きく変わることがあると思う。

芸術や読み物など、人が作った作品は、たいていいい意味で、人生観を変えてくれる。

人との出逢いは、いい意味でだけでなく、悪い意味でも人生観を変えることもある。けど、たいていはいい意味な気がする。

いろんなモノに影響を受けるけれど、やっぱり人との出逢いはすごく大きいと思う。

「弟は、私の人生観をどのぐらい変えただろう。」とふと疑問に思った。

漠然と分からなくて、でも、「私の人生観を変えた人」を浮かべてみると、弟は3位かな、と思った。

悲しい意味での衝撃度は1位だけど、それは受け止めていくものであって、弟の死によって変化した「人生観」自体はいろんなトコで変化したけど、1位ではないかも。細かいいろんなモノが変化したけれど。そう思ったことを嬉しくも、悲しくもあって複雑な気持ちだ。

でも、「私の人生観を変えた人」1位は、今のトコロ不動で、常に私の原点。携帯でも、機種変しても常にゼロ番登録。

個人的には、芸術や読み物も大きな影響を与えてくれている気がする。感動やインスピレーションを受けた都度纏めたノートも、いつの間にか、10冊以上越えている。

些細なことも、自分だけの世界では、得られないんだなと染々。ほんの少し手を伸ばせば、そこに何気なく価値観が詰まっているかもしれない。と思うと、何でもいい、関わることは大切だなと改めて感じた
(*´`*)
[2013/09/26 06:08] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
「自殺」という言葉
「自殺」ではなく、「自死」と言う言い方が自死遺族の間で使われている。

初めて遺族会に行った時、「自殺」でなはく「自死」という言い方をしています、と説明を受けた。

そこには思いが込められているんだろう、と思う。特に抵抗もなく、「自死遺族」という言い方を私もしているけど、「遺族」を外した時には、考えてみると、個人的には、「自殺」という言い方や「自分で死んじゃった」っていう言い方を普段はしているっぽい。

正直なところ、「自殺」「自死」どちらを各自が使おうと構わない。「自死」の方がやわらかい気もする。でも私があえて「自殺」という言い方をするのは、その方が、衝撃的だった、という自分の気持ちが表せるような気がする。衝撃的だからこそ使っている、ある意味自虐的行為かもしれない。

「自死」なら「他死」、「自殺」なら「他殺」、が反意語になりそうだけど、慣れているせいかやはり、「他殺」という言い方はすごく衝撃的に思える。

前置きが長くなったけど、英語で「自殺」はkilling oneself/suicide と言う。

genocideは大量虐殺、
pesticideなら殺虫剤

偶然なのかどちらかの意訳なのか?でも英語でも、同じように「自分を殺す」んだ、っていうことが気になってたんだけど、よく考えたら、killing oneselfという言い方は、シェイクスピアの時代から使われたはず。oneselfという単語を使い始めたのがシェイクスピアだから。戯曲を創作中、He killed him.だと、himが誰を指すか曖昧に伝わってしまうから、ということらしい。と大学で学んだのを思い出した。

一方、-cideは推測できる通り「殺す」の意味。語感からなんとなく外来語じゃないかとなんとなく思っている。調べろよ、って話したけど、ブログ書いてる途中、めんどくさいから…
ξ(・∀・`)ξ

結局、英語でも「自殺」ということか。

日本語は、異畑でよく分からないから、ネットで見ると、「自殺」という表現は結構古くからあったようだ。

ちんたら書いたけど、何が言いたいかというと、「自殺」か「自死」かということよりも、異文化ではどんな捉え方をしているのか、ということの方が個人的には気になる、というお話でした
(・ω・)

ただちょっと怖いのは、「自死」が自死遺族の間で一般的、暗黙の了解になったとき、私なりの理由があって「自殺」という表現を使っていることに対して、同じ自死遺族から「自死」を強要されること。言論の自由だ~@って反発してしまいそう。法律で「自殺」はNGワードになりました言われたら、お口ミッフィーにしないといけなくなるなあ
( ´△`)
[2013/09/22 08:00] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
秋桜
コスモスがちらほら見えるようになった。

花畑を通りかかると、コスモスが風にユラユラしてて綺麗。でも、コスモスを見るといつも切ないような悲しい気持ちになって、弟を思い出す。なぜだろう。いつも不思議だった。

「秋桜」だから、桜のように本質的に強く、美しくも儚げなのか。

それとも、「コスモス」という言葉が歌詞に出てくる歌のイメージか。スピッツの「コスモス」という曲は大好きな曲だけど、切ない歌で、彼女か想い人か分からないけど、コスモスが咲く頃、死んでしまった、というような歌詞だったからなのか。

スピッツに限らず、コスモスの出てくる歌や小説は切ないものが多い気がする。

花占いまでやってしまいそう…。

いわゆる「刷り込み」なのかな。
[2013/09/19 07:13] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
悲しい時
弟が亡くなって、悲しくても、それが弟の生き方だったんだ、と認めよう、と普段思うようにしているけど、やっぱり悲しいものは悲しい
.゚・(PД`q)・゚.

穏やかな気持ちで思い出すこともあるけど、ふと、悲しくて堪らなくなる時がある。

それは、たいてい自然の美しさを見たとき。山が綺麗、雲が綺麗、月が幻想的、自然に感動したとき、心の中で、弟に問い掛けてしまう。

「ねぇ、自然はこんなに綺麗だよ。すごく感動だよ。死んじゃってよかったの?」って。

弟は自然に囲まれた場所まで行って自ら死を選んだ。夜中から夜明け前が推定死亡時刻だった。

「夜明けまで待っていたら、美しさに心を動かされて生きていたかもしれないね…。」一緒に遺体確認に言ってくれた彼が言っていた言葉を思い出した。そうかもしれない。

弟が死んだ場所は、四方を山に囲まれた、コンビニひとつない場所で、夜には星がとても綺麗に見えるはずなのに。その日は星が見えなかったのかなあ。それとも、自然が綺麗だったから、その穏やかさの中で、死を選んだのかなぁ。

答えなんて出てこないけど、せめて弟が自然を見て綺麗だな、って感動しながら、死を選んでくれてたらいいなぁ…。

[2013/09/18 09:13] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
「校歌」
小学校から高校までに、5つの学校に行った。小学校は3ヶ所だったから。

今、「校歌」と言われて歌えるのは、小1の時にいた小学校だけ。あとは全然思い出せない
ξ(・∀・`)ξ

なぜだろう。不思議。

小6で通った学校は、校歌がなかった。普通の、教科書に載ってるような歌が校歌の代わりだった。

そして、高校の校歌で唯一思い出すのは、それまで校歌は「校歌斉唱」だったのが、「校歌合唱」だったこと。校歌なのに3、4ぐらいのパートに分かれていた。歌は思い出せないけど。

記憶って不思議だ。弟のことだって、たくさんケンカもしたはずなのに、思い出すのは楽しいことばかりで、あとは「死んでいます」と警察からの連絡があったあの夜中の衝撃だ。

それにしても、なぜ小1の校歌は思い出せるんだろう。特に一番楽しかった、なんて記憶はないのに
(*´ー`)
[2013/09/18 08:53] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
「珍解答集」
最近、ちょっとはまってる本が学校のテストの「珍解答集」。

図書館に行くとどうしても「心の闇」のような本へと引かれてしまいやすいので、ちょっとは笑える本借りようよ、と思って。

I live in Tokyo.→これを過去形にせよ。

解答:I live in Edo.

とか。

吹き出してしまう珍解答だらけで、外で読めないから、家でひとり爆笑してるけど、ちょっと心が軽くなる。

ある意味、想像力が豊かだなぁ、と感心してしまったり。

読むと和む、そんな本です゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚
[2013/09/17 08:46] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
偏見
mixiニュースでこんな記事を読んだ。

川に誤って落ち、溺れていた子を偶然通りかかった中国人留学生が飛び込み助けて、二人とも無事だった
.゚・(PД`q)・゚.

「中国」という国をひとくくりにし、その国民性がやたらパッシングされ、ネット社会ではあり得ないほどの批判が飛び交う。韓国についても同様に。

でも、この記事を読んだら、パッシングしている人たちはどう思うだろう。通りかかったのがどんな人種でも、どんな行動に出るかは「個人」によると思う、って当たり前だけど。

そもそも、大半はマスコミに踊らされ、軽い気持ちでストレス発散のターゲットにしているだけだろうなあ、と私は思う。そういう意味ではAKBもターゲットにされててかわいそう。

その国の歴史をちゃんと知り、日本との関係性も理解した上で、理詰めで批判するなら分かる。

そういう人は少ないと思う。でも「国民性」の偏見は、海外から見たら一色単にされ、「個人」ではなく「人種」で判断されてしまうこともある。もちろん、そんなことするのは一部の何も知らない人たちなんだろうけど。

「日本」だって、同じようにパッシングされる。でも、実際は一部の人がしているのをマスコミが報道して、「国まるごと」が批判しているように錯覚させる。

「偏見」って無意識のうちにも持っていたりするから難しい。

でも、簡単に様々な情報が飛び交う情報化された社会では、背景知識を知らない以上は、「国民性」より「個人」として人を見て、その中で良くも悪くも「国民性」を発見できたらそれで十分、だと思うんだけどなあ
(’-’*)♪

私は、今パッシングされやすい中国や韓国についてほとんど無知だから、好きとか嫌いとか分からない。

でも、中国や韓国のお陰で、陶磁器やお茶、お菓子がずっと昔に日に伝わってきたから、美しい陶磁器を見たり、おいしいモノを食べたりできるので、感謝
(^人^)
あ、韓国コスメにも感謝
(・ω・)
[2013/09/17 08:34] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
久石譲のコンサート
宮崎駿の記者会見の余韻が覚めぬまま、そういえば、と思い出し、以前買った『久石譲コンサート~宮崎駿と共に歩んだ25年~』のDVDを久し振りに見た。

プロの楽団はじめ、合唱団や、吹奏楽団、公募参加の人たち、と演奏者は千人以上はいたんじゃないかと思う。音楽はいい
(@^▽^@)

久石譲はじめ、そこには純粋に音楽が好きな人達が集まって、苦労しながらたくさんのリハを重ね、観客を楽しませ…、考えてると感動。

最後の方で、宮崎駿が花束を久石譲に渡しに来た。でも、舞台に上がることも、マイクを使うこともなく、久石譲に舞台の下から直接何か言って、すぐにすっと席に戻っていった。

久石譲の目にも、宮崎駿も、涙が堪えきれない表情をしていた
.゚・(PД`q)・゚.

タイトルにあるように「共に歩んだ25年」の感慨深さ、それも純粋に本当に自分のやりたいことを「芸術」というカタチでたくさんコラボし、これ以上のコンビはない★と思われるほどの名作を生んできた、そんなことが結果的にカタチにできるなんて羨ましい
(≧∇≦o)

芸術は純粋に人を感動させる。なんとか賞とか入ってくると裏で「大人の事情」とかあったりするらしいけど、個人的にはそんなのどうでもいい。

芸術は嘘をつかないと思う。作品を見て、それに感動したら、その人にとってはそれはホンモノ☆だと思う。批評家が、他人がなんと言おうと。そもそも芸術を理詰めで言われても、感動するもんはするんだもん。

少なくとも、私は、自分が感動した作品は「純粋に作られたモノ」だと思ってる。

世の中、そんな純粋なものばかりならいいのに。「打算」とか、「大人の事情」とか、っていつ頃から人はそうなっちゃうんだろう。誰だって純粋な赤ちゃんや子供だったのが、早いとすでに子供でも、そして半分以上、もっと多いのか?大人はいつの間にか打算的になっていく。気がする。

「純粋さと引き換えに、人は常識を身に付けていく」と聞いたことがある。

「常識」ってどんな意味だろう。

自殺を選ぶ人には「純粋」な人が少なからずいると思う。純粋なあまり、自分を責めたり、世の中に対応できなかったり…。責任転嫁を平気でして、自分を正当化して他人を傷付けても、平気で生きてる図太い人もいるのに…。理不尽だと思う。

こんなことを書きつつも、自分にも打算的なところがあるんじゃないか?と心配になってきたのでここまでにしておこ
(*´`*)☆

by ichika
[2013/09/13 07:09] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
「カタチを変えても」
この間、月が綺麗すぎてしばらくひたってしまった
(*´`*)月の美しさは、「幻想的」以外、ちゃんとうまく言葉にできないけど、とにかく美しかった。

同じ時間に、あの美しい月を同じカタチで見れるのはどの地域までだろう。名古屋ぐらい?神戸とかも?異国でも見れるのかな?

月は常に同じ色カタチをしていて、私達にはいつも違うカタチ、側面が見えてるだけだよ。月の本質は変わらないけど、たくさんの側面があるんだよ。

と誰かが言っていたのを思い出した。



そういえば、海の話も他の誰かに聞いた。海は穏やかだったり、荒れたりするけど、海の中の方では常に穏やかだよ、海の本質は変わらない、と。

「本質」は変わらないけど、時によって外に見える「側面」は違う。私の「側面」の中で、「弟が死んじゃったこと」はどれぐらいを占めていて、そもそも私の「本質」ってなんだろう。

自分なりの「本質」を解釈していて、しなやかに様々な「側面」を魅せられる、そんな人が羨ましい
(’-’*)♪

私もそんな風になりたい
(≧▽≦)

by ichika
[2013/09/13 06:27] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
匿名社会で
お休みの日で、夕方から眠い~と寝てしまい、こんな時間に目が覚めてしまいました。今夜中の3時
(=_=)

最近通い始めたクリニックで処方箋をもらった後、一度隣接の薬局で薬をもらったのですが、結局薬は今までもらっていた薬局まで行ってもらうことにしました。そうしたかったから。

何が違うかとゆうと、普段の薬局でもらう薬は「名前」入り。ちゃんと私の名前が、薬ひとつずつに入ってるんです。30日分ならそのすべてに
(’-’*)♪

この間始めて行った薬局は何も印字されていませんでした。

たったそれだけのことですが、ひとりひとりに「名前」を入れてくれる、そんな心遣いが、私にはなんだかとてもホッとできて
(*´`*)☆

それに慣れていたせいか、他の薬局でもらった薬は「匿名」みたいに見えちゃって、同じ薬なのに効果半分なっちゃう、根拠のない不安がつきまといました。

「匿名性」が当たり前の世の中で、こうして「名前」を入れてもらえるだけで、自己確認ができる、というかなんだか嬉しいです。

子供のいる友人は「××さんのお母さん」とか「××さんの奥さん」とかしか呼ばれない、ってよく言います。

会社だと、名字だけでなく、下の名前で呼んでくれるところもあって、考えてみればそれって嬉しいことだなぁと思って
(・∀・)

「自分」を認めてもらえるのって、無意識のうちに嬉しいことなんだ、と改めて思いました。

[2013/09/11 03:29] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
宮崎駿の記者会見
宮崎駿と鈴木さんの記者会見を見て、めちゃ泣いた。

私の思い込みかもしれないけど、私的には、宮崎駿は「職人」だなぁ、と思った。純粋にやりたいことをやりたい、子供の視点を持ち続けている、そんな気がした。

私も一生、職人でいたい、とずっと思っている。「現場」で居続けたい。やりたいことをカタチにしていきたい。見下ろしたり、人に任せたり…は嫌だと思っている。仮に、(ないだろうけど)自分が経営者になったとしても、やっぱり職人でいたい。

宮崎駿の作品は、ありきたりの感想だけど泣ける。手書きの暖かさが好き。久石譲の音楽とのコラボも最高。昔の映画音楽のようだと思う。そんな作家がまた出てくるといいなぁ。

先日、岡山で開催されていた、背景作家の山本二三展に行った。ラピュタやもののけ姫の背景も描いた人だった。風景って、観察力がすごい!って思った。私は映画のこと何も知らないけど、そっかあ、そうゆう風にいろんな人が関わってるんだなあ、と感動した。考えてみれば、絵の大半は風景だよなぁ。

人が「作品」を見て感動するのは、「作品」の向こう側に「人」を感じるから、という言葉を何かで読んだことがあって、すごく印象に残っている。

そう考えると、今はめったに着なくなった「着物」や、アンティークジュエリーもミシンがない頃の洋装もやっぱり芸術だなぁとしみじみ思う。アメリカの伝統的なパッチワークも素敵だなぁ。家族の歴史を布に紡いでいくなんて、誰が思い付いたんだろう。
ステキ(☆ч★)

by ichika
[2013/09/08 21:11] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
「オカンを幸せに」
弟が生きていた時、「オカンを幸せにしたい。」とよく私に言っていた。

マザコンとかじゃないと思う。

小さい頃から、オカンが苦労してるのを見てきたから、下宿して親の有り難さを実感したからそう言っていたんだと思う。

下宿していたとき、弟から電話があると、「オカンは元気?寂しがってない?」って毎回私に聞いてきた。「お姉(私)のことは聞かないの?」って聞くと、「お前はどうでもいい」って
(@^▽^@)

弟が下宿をやめて家に戻ってから一度だけ家族で外食をした。「やっぱり家族っていいね。」弟の言葉は、今から思うと、すごく色んな思いがあって言った言葉だったのかもしれない。

職場でも、弟は家族のことをよくしか言っていなかった、と後で職場の人に聞いた。人の悪口は一切言わない子だった、と。

下宿から戻って、その数ヵ月後、弟は自殺した。弟が家に戻ってきて、これから何度も一緒にできると思っていた外食も、語り合いも、兄弟喧嘩もできなくなってしまった。

あれほど、オカンを幸せにしたい、って言っていたのに死んじゃった…。それを考える余裕もないほど生きていくのが苦しかったんだろう、と思う。

私一人では、オカンを2倍幸せにする自信はない。だから、弟に天国から見守っててほしい。欲を言えば助けて欲しい
(*´`*)

[2013/09/06 21:58] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
自信
私は「自信」がまるでない。「自己評価低すぎる」、と周りによく言われる。

弟を亡くして、自分が半分になった気がした時からより自信喪失した気がする。

自分が嫌い、というより、本当は好きなのに好きになれないから、好きになりたい、という感じだと思う。

「自信が持てるようになる本」みたいな自己啓発の本を何十冊も読み、その度に感銘受けたことはノートに纏めてきた。のにいくら何をやっても自信がつかない。

昨日、お気に入りの古着屋さんで古着を見ていた
(’-’*)♪
すると、ふと自分の大切な人達を思い出した。私は、「交友関係」があまり広い方ではないと思う。相手に尊敬できるところがある、とか憧れるところがある、とか理屈じゃなくて居心地よい人など、ほんとに大切な人達がいてくれたら十分だな、と思う。

そして、そうゆう人達を思い出していたら、自分が大切に思うそうゆう人達が、自分を大切に思ってくれて、そうゆう人達と関わりが持てるということは、もうちょっと自信を持ってもいい気がした。

私は、普段「自信」というと、内を向いて自分ひとりの世界で考えていたけど、外に向けたら、ちょっと自信が持てた。自信って、自分自身から離れて、自分の居る環境を見ると、誇りのある人や環境に囲まれていて、その中に自分も居てることを感じたら、なんだか嬉しくなって、ちょっと自信が持てた
(*´`*)
[2013/09/06 09:14] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
フラッシュバック
昨日の夜、弟の亡くなったときのことが、いきなり映画が始まったように頭の中で流れ始めた。

回想しようとしたわけではなく、ほんとに勝手に始まり、どんどん、わ~ってフラッシュバックする。

びびった(゜н゜;)

怖くなってしまった。何年も経って、こんなふうに映像が飛び込んできたことはなかったはず…。

なぜだろう。自ら回想するのとは違って、スピード感、混乱、パニック。ほんまびびった。
[2013/09/06 08:46] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
高速「通行止」
先日、地元で、車に乗っているとき、高速の入り口近くの掲示板に「××から××まで事故により通行止」って出ていた。「車線規制」じゃないから、大きい事故なのかな…と思っていた。

その後、その事故についてmixiのニュースで知った。

男子高校生が、二人乗りバイクで無免許で、高速を逆走、一人死亡…、だった。この近くでは、半年ぐらい前にも、中学生が高速を無免許運転で死亡…、これは新聞でも大きく出ていた。

今回の事故は、竜巻などのニュースと重なったせいかあまり大きなニュースにならなかった。新聞でも「地域版」に小さく取り上げられていただけだった。

迷い込んでしまたのか、悪ふざけの、流行りの「高速逆走ナウ」をしたかったのか…、分からないけど、もし生きていたいなら、「命」を軽んじたことが悲しい。

高校生で、そんな分別もつかないのかな。それとも死を覚悟しての行動だったのか…。

分からないけど、分別に関しては意外と年齢は関係ないのかもしれない、と色んなニュースを見てると思う。

誰かが死ぬ、ということはその何倍も悲しむ人がいる。中には、後追いしてしまう人もいる。生まれた以上、生まれた瞬間から人は死に向かっている。

でも、その中で、自分だけの、自分にとっての生きる意味を見いだせたら、とても幸せなことだと思う。

[2013/09/05 09:05] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(1) |
「選択」
生きていると、ほんの小さな選択肢から大きなものまで、例えば、うまい棒の何味にしよう、ってことから、選択の連続だ。

そうゆう楽しい選択肢は、別として、ちょっと悩む時、「理屈」で考えるか、「感情」で考えるかすら迷う。

遺族会にしても、他の集まりにしても、参加するかどうか。迷うってことは、「期待」と「行き損」の間で揺れ動いている、ってことだろうと思う。

先日、ちょうどそんな類いのお誘いを受けた。とっくにやめたはずの組織からだった。誘ってもらえる事実には感謝している
(^人^)
けど迷った…。ちょっと裏がありそうな気がして。でも、単に久し振りにせっかくだから皆で集まろうよ、ってことかもしれない。

で、目をつぶって色んなシーンを想像してみた。例えば、誰かとケーキを食べてたり、誰かに手紙を書いたり、図書館にいたり、自分にとっての様々なシーンを。そうしたら、そこに暖炉のような暖かみが見えた。

同じように、誘われた集まりを目をつぶって想像してみた。暖炉は見えなかった。

ほんの昨日見つけた、迷ったときの選択方法。

デジタルが進み、どこかで自分で一線を引かないと波に飲まれてしまう怖さがあるから思いついた方法だった。

デジタルは便利だし、楽だ。でも壊れるとジャンクになってまう。

アナログは、手がかかる分、味が出て、壊れたらオブジェにできる。

そんな風に思うのは、私の偏見もあるかもしれない。

でも、別にアンチデジタルではない。たくさんの恩恵に授かってるし。

でも、写真を見るとき、やっぱり一眼レフやポラで撮った写真の方がなんだか和む。

暖かみのあるトコロには、嬉しい涙がある。色んな感情がある。そんな気がして、敢えてそこそこ時代の波に乗りながらも、アナログを大切にしたいと思った。

by ichika
[2013/09/05 08:42] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
プロフィール

for sibs

Author:for sibs
for sibsとはfor siblings(兄弟・姉妹たち)の略です。自死遺族は一人一人さまざまな想いを抱えています。私たちはここ名古屋で、兄弟・姉妹を亡くした人たちのアウトプットの場所を作ろうと思い、自死遺族の二人でこの会を結成しました。

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