for sibs ~兄弟姉妹を自死で亡くした人の語り場 in Nagoya~
私たちは兄弟姉妹を亡くした人同士の「分かち合い」の会の主催を目的として立ち上げた任意団体です。
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impressive2)
漫画から受ける感銘。個人的に、今のところ神☆と思うのは

『ハチミツとクローバー』恋愛だけではなく、それぞれの生き方や悩み、苦しみ、など、静かな雰囲気がある。けど面白い。

熱く語ってしまうが、個人的にはこれを超える漫画は今のところなく、(あ、コナンくんは別腹☆)英語版もあって、そっちではどんな風に翻訳されているのか、切なさや重要な主旨がどう表現されているのか興味があって、そちらもコレクションしている(*´`*)ぐらい好きなんです
(☆ч★)

1巻分読むと10回は泣く、私のバイブルだ
(*´`*)◎

雪が降ってきたシーンで

「まるで自分が砂時計の底にいて、砂が順に落ちてくるような感覚」のような台詞があった。

雪が降ったときに、そんな風に考えたことなんて一度もなかった。

他にも数えきれないほど、私には思いつかない観点からの見方が満載で。

ハチクロに限らず、この作者の作品は独特で、単に「笑えた。」では終わらない。

この作者が仮に「自死遺族」をモチーフにするとしたら、いったいどんな観点で捉えるのだろう。

私達と同じように見えるのかなあ。違う風に捉えるのかなあ。

ハチクロを読むと、ふとそんなことを考える。

by ichika
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[2013/06/28 06:01] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
impressive1)
漫画にも、ってゆうか何にでも印象的なものがある。ありがちだが、私がよく感銘を受ける漫画のひとつが『ワンピース』。

かなり前半、冬島シリーズで、drヒルルクの台詞。

『人が死ぬのは、人に忘れられたときだ』

というような内容の台詞。正確には台詞覚えてないけど。

私も、弟が亡くなった後、ずっとずっと先のいつか弟を知っている人が誰もこの世にいなくなったとき、弟が生きた証が消えてしまうことが怖くて、どうしよう…と悩んだ。

そこで個人的な発想はすごいところに飛んだ。

『有名女優』なら、オードリ=ヘップバーンのように『DVD』や『写真集』のような形で残り、語り継がれる存在だ。

もし、私が芸能界に入ったら、弟のことを話す機会もあるかもしれない。そうしたら、何らかの形で弟の生きた証を残せるかもしれない。

そんな発想から、とりあえずタレント事務所に入った。

が、現実は甘くなく、当然私は全然芸能界にはいない。

けれど、在籍していた頃のレッスンで出逢った先生は、すごい(☆ч★)の一言だった。

個人的に、いろんなカリキュラムの中で『モデルレッスン』ってゆうのがめちゃめちゃ愉しくて、それを受講していた。何名かの現役モデルや監督が毎週指導してくれるのだけど、どの先生もとにかくすごい(☆ч★)同じ人間とは思えない、なんというか外見も勿論、内面も何もかもが神々しい(*´`*)
※この時点で、自分がモデルや芸能界に入れるという遠い世界は考えておらず、ただレッスンが愉しくて愉しくて。

なんていうか、オーラや美しさ、カッコよさ、すべてが「うちら一般人とは違う…」という印象。

でも馴染みになっていくうちにわかったのは、先生達の独特のオーラは、いろんな経験、愉しくものだけでなく、辛く、苦労して悩んで努力して…そんな中から出てきたものでもあるとわかった。

私の知っている話はたぶんほんの一部に過ぎず、厳しい芸能界の中で、「自分」を創り上げていくために相当な努力や苦労をしてきたのだと思う。

その結果、あんな風に神々しいオーラが身に付いたんだと思う。

芸能界であってもなくても、オーラのある人はちゃんとあって、それは取って付けれるものでもないし、売ってもいない。

自死遺族、というのはそれだけでもとても辛く長く続く苦しみ、悲しみだと思う。悲しいことに、亡くなった人は生き返ってはこない。

だから、せめて哀しみ、思い悩み、そこから少しずつ何かを悟ったとき、自分なりの独特のオーラが出るようになるといいなぁ、と思う。

ところで、冒頭で書いたように『弟の生きた証』を残すことには今もやはり拘ってしまう。

どんなカタチで残そうか…。まだ答えは出ないままだ。
[2013/06/28 05:27] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
弟。
弟は、なぜ精神科や心療内科にかからなかったんだろう。

とはいえ、おそらく弟は仮面うつ…だったのだろう。

弟が「東京に出る」といってひとり家を出た後、理想の東京は現実とは違いすぎて、失望はそこからすでに始まっていたのかも…。

思い描いていた仕事がなかなか見つからず、とりあえず働ける所で働いて、その時住んでいた寮の写真を後で見たとき、なぜかわからないけど「孤独感」が伝わってきた。

たまに「おかん、元気?」って電話かかってきて、「おかんは今まで苦労してきたから、俺が幸せにしたい。」よく言ってた。

数ヵ月後、名古屋に戻ってきて、理想の仕事を見つけ、働き始めた。とても楽しそうで、でも他のスタッフに追い付きたくて、家で一生懸命復習したり、練習したりしていた。その姿がかわいくて。

弟の死後、弟の働いていたアパレルショップに行った。弟はよく、「家族自慢(悪口じゃなくて)、おかんを幸せにしたい。お姉はすごい。」とか、言ってたらしい。ショップに一枚の絵が掛かっていて、それは弟が店長さんに、って書いたものらしい。

弟は絵を描くのも好きだった。

何を着てもうまく着こなす、そんな魅力があった。

お客さんにも受けがよく、弟の周りにはいつも仲間がいた。

弟が東京から戻ってきたとき、母と私それぞれに、アクセサリーをくれた。その袋に、「おね」(お姉の意味)と書いてあって、それは私が唯一残した弟の直筆だ。

弟がどんな気持ちで東京で過ごし、「いいアクセサリーの店を見つけたから」と、どんな気持ちで選んでくれていたんだろう。

何年経った今でも、まだほんの最近のことのようで…なんでこんなことになっちゃったんだろう。

やっぱりドラゴンボールが欲しい
.゚・(PД`q)・゚.
[2013/06/24 06:51] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
入院して学んだこと
明日は、退院予定日です。

病は辛くて、苦しくて、夜な夜なひとりで、いや…昼間から先生や看護師さんの前でも泣いたけど、いくつもの大切なことを学びました。

◎先生、看護師さん、ヘルパーさんなどへの感謝や、心配し、支えてくれた周りの人達への感謝は言葉で伝えきれません。

◎そして、これらの自分を支えてくれた人達への感謝の他にもとても大切なことを学びました。

◎医師が、常に誠実で正直であったこと。こちらがする質問に、偽りなく正直に答えてくれ、納得いくまで向かい合ってくれた。

◎どんな状況でも、常に冷静に、でも笑いや笑顔で、患者とのコミュニケーションをしてくれたり、安心感を与えてくれた。局所麻酔の治療の最中さえも。それにどれだけ安心感を与えられたか。

これがプロなんだ!プロ意識なんだ☆

と感銘を受けました。

どんなにおべんちゃらをいっても、取り繕うためのその場凌ぎの嘘を言っても相手には伝わってしまう。どこかで綻びが出てくるから。

本当のプロ意識というのを今回の入院でたくさん見られました。

もう病は嫌だけど、これらのことは、医療現場に限らず、どこでも通じることだと思います。

いわゆるホワイトライは状況次第でありかもしれないけど、本来真剣に向かい合う場での「誠実さ」「正直さ」「納得いくまでの話し合い」は、見習うべきプロ意識だと思います
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚

by ichika
[2013/06/23 22:02] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
ドラゴンボールがあったら☆
もし、ドラゴンボールがあったとしたら、「兄弟を生き返らせる」ために探しに行きますか?

とふと自問が。

私の答えは「yes☆」

弟はどうだろう?生き返りました→何を思うだろう。喜ぶのか、また同じように…。

これは私にも分からない。けど、もし、弟がなんらか具体的に「これが苦しくて」と打ち明けてくれたとしたら、「一緒に解決策を考えよう」と言って、解決へ繋げていこうと思う。

じゃあ、仮にそれが解決したとして、次に何かに苦しんだとき、それでも弟は生きようとするのかな。それとも自ら死を選んでしまうのかな。

苦しんだとき、一緒に考えて解決策を探っていくことはできる。でも、最終的に「決断」し「選択」し、「実行」していくのは本人にしかできない。

仮に自死を選んだ人がドラゴンボールでみな生き返ったとしたら、その中のどれほどの人が「生きる選択」をするだろう。

ふとそんなことを思った。

因みに私が自分のためにドラゴンボールを集めて願うなら「不老不死☆」

「たられば」なんて考えても仕方ないは社会の常套句だけど、「もし弟がドラゴンボールで生き返ったら…」とか、そんな切ないけど楽しい「たら」なら、たまにはやってみてもいいのかもしれないと思う。

分かち合いで「今日のお題…たら」なんてのがあってもいいのかも
(*´`*)
[2013/06/23 08:33] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) |
緩和。
私は祖父が大好きだ。もう10年以上前に亡くなってしまったが、過去形ではなく、「大好き」なんだと思う。おじいちゃん大好きっ子だ
(*~∇~)

祖父は分かったときには末期がんで、余命半年と宣告されたが、本人は知らないまま亡くなった。まだインフォームド・コンセントとか、緩和ケアとかそういうものは確立されていなかった時代だった。

今、病棟から見える緩和ケア病棟を見ているといつも思う。

もし、祖父が今生きていて、緩和ケア病棟があって、「残された時間の生き方」を選択できるとしたらどちらを選ぶだろうか。私には分からない。

我が儘を言うなら、きるなら、苦しまず、楽な時は一緒に出掛けて、苦しいときだけ治療をしてもらって…、つまり「緩和ケア」を私は祖父に望んでしまう。



「分かち合い」というのはある意味「緩和ケア」に似ている、とふと思った。

「根本的な悲しみ」は消えることはないけど、「ふと来たくなったとき」「やたら兄弟のことを思い出しそれを分かち合いたいとき」「まだ、ひとりで対処するには辛いとき」、来たいときに自由に来て、そしてちょっと元気になって、その人の日常に戻る。

迂闊なことはいえない。けど分かち合いもある意味で、ほんとの緩和ケアよりずっとずっと物理的に楽ではあるけれど、精神的な緩和ケアに似ているかもしれない、と思った。

by ichika

[2013/06/23 07:24] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) |
TPOと笑顔
分かち合いの会を立ち上げてから、悩んでいたことがある。

「笑っていいのか」

これは、参加者の「兄弟を亡くしてからの期間」によっては、「なんで笑っていられるの!?」という怒りや唖然を考えると…どこまで笑顔がOKか、という問題だ。

この問題を解くきっかけとなったのが、私自身の体験だった。

前回書いたように、今私は入院中だ。はじめは集中治療室にいて、また手術室に行って、その中で、常に医師や看護師さん達は笑っていた。少なくとも笑顔で医師や看護師同士、または患者とのやりとりで笑顔で、笑いながら接してくれた。

手術で、部分麻酔の時も笑いを忘れてはいなかった。

これらに、私はとても安心でき、リラックスできた。

もし、医師や看護師がピリピリし、深刻な顔つきや声色をしていたらこちらも緊張してしまう。

やるべきことはしっかりやってくれながら、笑顔で和む場にする。

このプロ意識、というか在り方にはすごく感銘を受けた。

分かち合いでは、笑顔はNGか?という問題が解けた気がした。

笑いってステキ☆
[2013/06/22 08:30] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) |
「不安」と「恐怖」
「不安」「恐怖」、この違いは普段考えたこともなかったけど、ちょっと考える機会があって、違いがあることが分かった。

「不安」は、「わからない」に対して使い、「恐怖」は「わかっている対象」に使う…らしい。

確かにfor sibsを立ち上げる前の「やりたい」が、現実になったとき出てきたのは「不安」であり、「恐怖」ではない。

「どんな会にしていこうか」「どんな人が来るのだろうか」「うまく進行できるだろう」

いろんな「分からない」不安がたくさん。

でも、ある時、全く違うことで(遺族会のことを話していない人に)、ある2人に「不安、ということは選択肢があるという希望でもあるんじゃないか。」「不安ということは、色んな可能性があるということでもあるんじゃない?

と同じようなことを偶然同じようなタイミングで言われた。

すごい!!
(*´`*)

「不安」というのはネガティにしかとらえてなかったけど、「希望」が裏にあるかもしれないんだね☆

そして、自分一人では思いもしなかった考えが、人から直接、また本などを通して、いずれにしても人から教わることの意味を改めて感じた。

分かち合いに来る人には「苦しみ」「悲しみ」「不安」「回想したい」様々な思いがある。

そして、意外と思いもよらないところで、人の言葉に救われることがある。

分かち合いの意義のひとつかもしれない。

by ichika
[2013/06/22 08:12] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) |
「死ぬという権利」
前回、「本気で死のう、と思っている人」に簡単に止めることは、私にはできない、ということを書いた。

会を立ち上げてから、残念なことに私は入院になってしまった。

そして、私自身も「究極の選択」をしなければならない状況にある。
◎ひょっとすると、ノホホン長生きするかもしれないし、いつ死ぬかもしれないし、それすらわからないけど、苦しみは比較的少ない
◎一生苦しみが伴う可能性が高いが命はより確実性がある。

病棟からちょうど見える場所に、「緩和ケア病棟」がある。

まだそんなに多くの病院に存在するものではないらしい。

「緩和ケア病棟」では、癌の末期の患者さんが、「残った人生を自分がどう生きたいか」を重視し、通常の癌治療ほどの治療はせず、でも必要な時にだけ治療しながら、入退院を繰り返し、専門医や精神科の医師と一緒になって、最後まで本人の意志を尊重していくケア、と聞いた。

医学の発展と共に「生きるための選択」は増え、それと同時に「死ぬという権利」も増えている気がする。

昔は、まだ医学が発達していないころ、もしくは戦時中「生きたくても生きれない状況」が今よりずっとあり、「生きることの意味」も「必死さ」も現代とは全然違っていたんだと思う。

でも今は、そういった意味では「選択肢」が増え、大抵は「生きる」ことを第一に優先して考える「生きるためなら苦しみは我慢しなさい」。「死んでしまったら何もできないよ。周りが悲しむよ。」と。

でも、「本当にずっと苦しいならば、終わらない苦しみならば、それでも生きろ、って」、私には言えないかもしれない。

「ずっと終わらない苦しみの中で生きる意味は、本人自体に見出だせるのだろうか?」と考えてしまう。

終わる苦しみなら、解決できる苦しみなら、「一緒に考えて、解決していこうよ」って言うと思う。

自死で亡くなった人の中にも、「解決できたかもしれない苦しみ」だった人もたくさんいるかもしれないし、「一緒に解決していこう」と手を差し伸べていた人も周りにいたかもしれない。

それでも「自死」という選択を選んだのは、少なくともその瞬間は「死ぬこと以外に苦しみはなくならない」「死ぬことがたった一つの解決策」だと感じたから、ではないかと思う。

私達、当たり前に小さな頃から側にいた兄弟を亡くした自死遺族にとって、思いもよらない兄弟の死は、受け入れるのに時間がかかり、現実なのか幻想なのかすらわからなくなることもある。

ただ、本人が色んな選択肢の中から「死」という選択肢を選んだことは、尊重してあげたい。

私の弟が死を選ぶほど苦しんだ分が、今生きている私が苦しんでいる分と同じなのだ、と思う。弟はこれほどに苦しんでいたのか、と。だとしたらやはり余計「死ぬ権利」 を尊重してしまう自分がいる。

苦しいのは、単に弟がそれだけ大切な存在で、それだけ大切な人と兄弟として出逢えたことでもあるんだ、ってポジティに考えたりもするけどね
(*´`*)

あくまで持論です。

by ichika
[2013/06/20 11:52] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
若い世代の自死が増えている、mixiニュースより。
今日のmixiニュースに、自死についての記事があった。

簡単に纏めると、

◆中高年…低下傾向、とはいっても数%
◆若い世代…自殺死亡率はここ数年だけでも二倍近く、20~39歳の各年代の死因の第1位は自殺である
◆国際的に見ても、15~34歳の世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本だけだそう
◆若い世代の自殺の原因は、「勤務問題」「就職失敗」や「その他進路に関する悩み」など、いずれも就職問題に関連⇒『経済・生活問題』、『学校問題』『健康問題』へ

ということだ。


「国際的」となると、各国の事情があって、数字だけでは私にはわからない。

結局のところ、「今」「この瞬間」ではなく、「明日」「将来」に絶望、先が真っ黒な高い壁に閉ざされていて、それに耐えられないとき、生きている私たち、少なくとも私は絶望する。

またここでコナンくんの「目の前に立ちはかる壁もよく見れば扉がある」みたいな台詞を思い出す。この台詞は自分には衝撃的でずっと頭に残っている。

けど、絶望したり、それしか考えられなくて、なかなかポジティになんて考えられない。

そこで、よほど自分の心を打つ言葉を聞いたり、何か脱出する術が降臨でもしれこれば、また希望が少し見えるけど。

自死についての統計ももちろん「統計的」に正しいのだと思う。

けど、疑問に思うのは、「自殺の直接の死因は、本人に聞けない。誰に聞くのか?遺書?周りの人?」
結局のところ、ほんとのほんとの原因は本人にしか、もしかすると本人にしか分からないかもしれない。

「太る」のと同じように、「ケーキ一個」じゃなくて、体にちょくちょく溜まってきたものが、何かを引き金に、それはほんの些細なことかもしれなくて…、と思う。

もしかすると、統計通りの、食べ物でいうなら「ドカ食い」もあるかもしれないけど。

…こんなこと書いていても本人にしか分からないね。「割合」は出せても、ほんとの原因はひとりひとり違うのだろうから。

それにしても寂しい結果だな…。

でも、私には「自死」という選択肢を、本人が本当に望むのだとしたら、「やめなよ」とかすぐに否定することはできない気がする。

あくまで持論です。
[2013/06/19 11:19] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
リマインダー
自死遺族に限らないけど、この曲を聴くと、これを見ると誰かを思い出す、っていう人間の機能は密かにステキだと思う。

私の場合、亡くなった弟を

s.e.n.sの「出逢った頃の君でいて」を聴くと

黄色い花、例えば菜の花やガーベラ、コスモスが風に揺れているところを見ると

必ず思い出す。理由は分からないけど。

漫画の『ハチミツとクローバー』で、「(会えなくなった人に関して)最後まで残るのは声なのか姿なのか」みたいな言葉があってすごく印象的だった。

どっちなんだろう。分からない。

でも、上記の曲や花は、必ず弟を思い出すから、思い出したいとき、思い出して思いきり泣きたいときはあえてその曲を聴いたり、花を見たりする。

ふたつが揃うと最強。切なさが倍増。忘れるばかりが癒しじゃないんだなぁ、としみじみ感じる。

そうやって思い出していくことが癒しになる。

「忘れる」機能があって救われるように、「思い出す」機能もあるから救われる。

人間の脳ってすごい
(*・_・*)

by ichika
[2013/06/18 18:11] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
答えの出てこない謎
普段は仕事中でなかなか見ることのない夕暮れやその後の月を見たとき、その幻想的な美しさにやられて泣いてしまう。

弟もたぶん、亡くなった山の中(ほんとに自然に囲まれた場所で亡くなった)で夕暮れやひょっとしたら満天の星空を見たのだと思う。

私より感性豊かな弟がそんな景色を見ていて、なぜ死を選んだのだろう。

それとも空なんて見る余裕はなかったのかな。

自死遺族に限らないと思うけど、また、死だけに限らないけど、悲しいことって「結局、原因がわからない。黙秘されたまま。」真実が分からないのってほんとに何年経っても辛い。

「月の謎」とか「作者不明の物語」とかそういう「謎」はある意味、ロマン、なんて思えたとしても苦しさを伴う「謎」とはまた別で。人の想像力を掻き立て、興奮を与えたりすることもある。

そんな「謎だからいいんだよ」と違って、「大切な人の死」に謎があるほど、答えなんて出ないのに、警察から聞いた断片的な情報から、死んでいくまでの過程を何パターンも想像してしまう。これは何年経ってもやめられない。答えなんて出てこないのに。

そしてそれ以上に、弟が家に帰ってこなくなってからの「行方不明」の期間は「謎」の一言で片付けられない。彼女んとこにでもおるんか?旅にでも出たのか?どこにいるの?ちゃんと元気なの?生きとるの?死んでるの?謎が不安に変わる。「分からない不安」は「分からない謎」よりもっと苦しかった。

メディアで、「何年も行方不明の人」の家族がビラを配る報道を目にすると、その人たちのそれまでの年月は…想像するのさえ背を向けずにいられない。

私たちが目にするのは、「ビラを配る姿」だけだけど、その行為の裏には本人にしか分からない辛さがあって…。そのビラを受けとる人、受けらない人にも、ひょっとしたら何も考えてない人もいれば、そんな苦しみを分かっててそうした人もいるかもしれない。

「謎」はできれば人をワクワクさせるものばかりならいいのに。

でも、嫌なことも「謎のままだからいい」こともあるのかな。

そう考えると「謎」って難しい
(*・_・*)

by ichika
[2013/06/14 06:39] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(3) |
「言葉」について
名探偵コナン大好きの私は、たまに名台詞が記憶に残る。

『言葉は凶器にもなる』ような台詞が映画で出てきて印象に残っている。

自死遺族に限らないけど、人が言葉として発することは、その人の考えのほんの一部にすぎないことがあると思う。

ムカついて衝動的に言ってしまったり、笑わせようと思い付いた面白いことや、その場での感動など、ほんとにその場の思い付きで出る言葉もあるけど。

分かち合いで気を付けたいのは、前者の『人が言葉として発することは、その人の考えのほんの一部にすぎない』というとこ。

自分が自身のことをどう言おうが自由だと思う。でも、人の意見が自分と違って反論したくなるとき、もしくは攻撃的にさえなりたくなるとき、

知り合ったばかりの相手から出た言葉は、自分の知らない相手の年月や経験の中で考え、悩んで出た考えかもしれない。

それを真っ向から否定せず、一旦相手の状況を理解しようとし、仮に直接聴かなくとも、「きっといろんな状況の中で出てきた考えなんだ」と思い合える、そんな分かち合いでありたい。けして、相手の意見に無理に納得したり、自分の意見を否定する必要もない。

前に書いたように、自身のことなら自由に、喜怒哀楽も、言葉も出していいと思う。

でも、相手も自分と同じように苦しみ、悲しみ、ただその具体的な状況は人によって違うんだ、ってことが当たり前に感じられる、そんな暖かい場所を作っていきたい
ヾ(・ε・。)
[2013/06/13 13:32] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) |
告知の場所を探しています
先日6月2日に、リメンバー名古屋さんの分かち合いの会に参加してきました。
もう10周年を迎えられるそうです。流石創立10年を迎えるだけあって、たくさんの方がいらっしゃいます。
実は、何を隠そうichikaとmimiもここで出会いました。
今回は、会の最後にfor sibsの告知もさせていただきました。本当にありがたい機会を頂き感謝しています。

for sibsをもっと多くの人に知ってもらいたい!多くの方にお越しいただきたい!
そう思っているので、もしこの様なありがたい場所が頂けるのなら、是非また他の会にも登場させていただきたい、と厚かましくも思っております。

勿論相互リンクも続けて募集中です!
[2013/06/07 18:26] | 会のお知らせ | トラックバック(0) | コメント(0) |
「間」
「立場の同じ人同士の分かち合い」の機会が作れたらいいなぁ、と思っていて、その思いをfor sibsというカタチにすることができました。

でも、「具体的に」「ルール的に」どんな会にしたいか、といったとき、「物理的」カタチはある程度明確にできるのですが、「精神的」カタチはぼんやりしていました。

ここの「つぶやき」で自分の考えたことを言葉にしていたら、自分はこういうのを望んでいるんだな、とちょっと見えてきた気がします。

今のところ、一番の発見は
「間」について

「間」=「タイミング」。

普段、人といて「居心地がいい、悪い」を感じるのは、「楽しさレベル」によると思いますが、ここでいう「楽しさ」には「笑える」「落ち着ける」「感動」…イロイロあると思います。そしてこれらは「間」の役割によるところが大きいと思います。

「そこにあるモノ」「そこにいる人」、例えば「居る場所」「温度」「話すタイミング」「沈黙の長さ」「話し終えるタイミング」「聴く側の姿勢」…イロイロありますが、いずれにせよ、「そこにいる人」が創るものはとても大きいと感じています。

分かち合いでも、人が創る「間」を大切にしたいと思いました。

ここでいう「間」とは
「沈黙の状態」でさえ「居心地がよい」と思える空間
「自分はここにいていいんだ」と思える「落ち着く」空間

です。よく「間が持たない」と言いますが、分かち合いの中で、誰もしゃべってなくても、それが「間が持ってないから」「誰も話さないの?誰かしゃべってよ。何か話さなきゃ」ではなく、「自分の中で何か発見があって、それを自分の中で反芻してる」「あ、これも話したくなってきた」になるといいな、と思いました。

by ichika
[2013/06/04 09:46] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
遺族会の意義
今まで何度か遺族会に参加しました。

遺族会で、それまで人に話したことのないことや、こんなこと話したら引かれるんやないか、ということも話しました。

でも、共感してもらえたりして、「自分だけじゃないんだ」と楽になりました。

for sibsでも「楽になる」ことを大切にしていきたいと思います。

日々の中で感情は色々変化し、自分で矛盾を感じることもあると思います。また、混乱し、なんだかよくわからなくなることもあると思います。

分かち合いは、そういった自分のありのままの感情を言葉に出したり、逆に言葉に詰まっても、すべて自由に出せる場でありたいです。

だからある意味、分かち合いは、人に話しているようで、一方で自分自身の内面との対話でもあると思います。

だから、語るときは、「人に情報を伝える」「自分の内側へ向けて話す」どちらも自由です。

それが自身のことである限りは何でも話せる、そんな居心地のよい場にしていけたら、と思っています。
[2013/06/03 11:54] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) |
分かち合いの場で
分かち合いの場では、喜怒哀楽、どの感情も自由に出してもらって構いません。

只この中で、「怒」について…

「怒」は、兄弟姉妹を亡くした過程で、自身や身内、周囲の人に対して感じた「怒」は自由に出してもらって構いません。むしろ、心に溜まっていることがあれば、どんどん出しちゃってください。

一方、「怒」の対象を向けないで~、って いうのは

分かち合いに参加している人の感じ方に対して
分かち合いの在り方について

この二点です。

会のルールとも繋がりますが、「気持ちよく場を共有する」ために

by ichika
[2013/06/02 23:13] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
会のルール
分かち合いは、来てくれた人が「来てよかった。気持ちが軽くなった。」と感じて帰ってもらえるよう色々と考えています。

そのためには私達スタッフの工夫ももちろん、それ以上に「人が場の雰囲気を作る」ということを参加者の方にも認識してもらえたら、と思います。せっかく場を共有するので、お互いの間で嫌な思いをせず、気持ちよく過ごせたら、と思います。

兄弟姉妹を亡くしてからの年月の違いや環境、世代間によって、感じ方は違ってくることもあると思います。

そんな時もお互い気持ちよく過ごせるように、そのためのルール
(*´∀`)
決して難しいルールではありません。

お互いに共感する部分もそうでない部分もあって当然。こういう時、「こういう考え方もあるんだな」と自分の感じ方と同じぐらい、相手の感じ方を大切にする。

相手の思いを否定したり、自分の価値観を絶対的、と思って他の人に押し付けたりしない。



分かち合いはモノローグ形式から入っていきます。これは、自分の気持ちを語る最中、言葉が詰まっても、整理しながらでもちゃんと話せるように、というのが目的です。

こういったことを理解した上で、より多くの方に来てもらえたら、と思います

by ichika
[2013/06/02 17:30] | スタッフのつぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) |
相互リンク募集中
スタッフichikaの繋がりで、島根の遺族会のブログに、なんと早速ブログリンクを貼って頂けました!
「逢いたい〜ぼちぼちの集い〜」さん、ありがとうございます。
勿論私たちのブログにもリンクを貼らせていただきました。

自殺者三万人以上と言われるこの国。自死も多ければ、自死遺族ももっと多いのです。
自死遺族の皆さんには、是非居場所を見失わないでほしいなと思います。

相互リンク、随時募集中です!お気軽にメールフォーム又はforsibs@gmail.comよりお問い合わせください。
こちらからリンクをお願いする事もございますが、その時は是非よろしくお願いします。
[2013/06/02 10:38] | 会のお知らせ | トラックバック(0) | コメント(0) |
プロフィール

for sibs

Author:for sibs
for sibsとはfor siblings(兄弟・姉妹たち)の略です。自死遺族は一人一人さまざまな想いを抱えています。私たちはここ名古屋で、兄弟・姉妹を亡くした人たちのアウトプットの場所を作ろうと思い、自死遺族の二人でこの会を結成しました。

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※誹謗、中傷はご遠慮願います。又、私たちスタッフはカウンセラーや臨床心理士などの医学的プロではなく、あくまで自死遺族のひとりです。メールでのカウンセリング的な相談、質問等には一切お答えできません。また、そのような主旨の内容のメールには一切返信しませんのでご了承ください。

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